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「だしのとり方」(2)ーー北大路魯山人

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 さてはいつでも切れるようにしておかなければならない。しかし、素人ではよく研げないから、大工とか仕事をするひとに研いでもらえばいい。そのほか、とぎや専門という商売もあるのだから、いつも大工の鉋のようによく切れるようにしておかなければ、料理をしようとする時にまごつくのがオチだ。
 日本にはかつおぶしがたくさんあるので、そう重きをおいていないが、外国にあったら大変なことだ。外国人はかつおを知らないし、従ってかつおぶしを知らない。牛乳とか、バターとか、チーズのようなもの一本で料理をしている。しかし、これは不自由なことであって、かつおぶしのある日本人はまことに幸せである。ゆえに、かつおぶしを使って美味料理の能率をあげることを心がけるのがよい。味、栄養もいいし、よい材料を選べば、世界に類のないよいスープができる。
 それなのに、かつおぶしに対する知識もなく、削り方も、削って使う方法も知らないのは、情けないことだ。そのうえ上削る道具もないーーこれはものの間違いで、大いに反省してもらいたいことだ。現在、鉋でかつおぶしを削っているのは料理屋のみであって、たいがいは道具もなくて我慢しているようである。その料理屋さえ最近削りかつおぶしを使用している。削り節にもいろいろあって、最上の削り節ならば、まずまずであるが、削り節は削り立てがいいので、時がたってはよろしくない。


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 鉋があっても、切れない場合が多いし、それを使用して削れないと思うくらいなら、日本料理をやめた方がいい。
 料理にかぎらず、やるというのなら、どんなことでもやるのが当然で、やらなければ達成できない。かといって、この場合、料理屋の真似をしてガラスで削るのは危険だし、たくさん削る場合は間に合わないから、無理をしてかつおぶしを削ることになる。しかし、無理をすることは昧が死ぬことになるのであるから、生きた味を出すためには、よく切れる鉋にかぎるのである。
 鉋を持ってないひとがいたら、ここで一奮発して、大工の使用している鉋を購入するようお勧めしたい。大工の鉋一つ買うことは、値段からいっても高価ではないし、生涯なくなるものでもないのだから、不経済にはならない。要は研げないと頭からきめてかからずに、インチ鉋の使用を一刻も早くやめる必要があろう。
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 さてこぶだしのことは、東京では一流料理屋以外はあまり知らないようだ。これは、東京にはこぶを使うという習慣が昔からなかったからだろう。こぶのだしは実に結構なものであって、魚の料理にはこぶだしにかざる。かつおぶしのだしでは魚の味が二つ重なるので、どうしても具合の悪いものが出来る。味のダブルということはくどいのである。こぶをだしに使う方法は、古来京都で考えられた。周知のごとく、京都は千年も続いた都であったから、実際上の必要に迫られて、北海道で産出されるこぶを、はるかな京都という山の中で、こぶだしを取るまでに発達させたのである。
 こぶのだしを取るには、まずこぶを水でぬらしただけで一、二分ほど間をおき、表面がほとびた感じが出た時、水道の水でジャーッとやらずに、トロトロと出るくらいにこぶを受けながら、指先で器用にいたわって、だましだまし表面の砂やごみを落とし、そのこぶを熱湯の中ヘサッと通す。それでいいのだ。これではだしか出たかどうか、心配なさるかも知れない。出たか出ないかはちょっと汁を吸ってみれば、無色透明でも、うま味が出ているのがわかる。量はどのくらい入れるかは実習すれば、すぐにわかる。このだしはたいのうしおなどの時はぜひなくてはならない。
 こぶを湯にさっと通したきりで上げてしまうのは、なにか惜しいように考え、長くいつまでも煮るのは愚の骨頂、こぶの底の甘味が出て、決して気の利いただしはできない、京都辺では引出しこぶといって、鍋の一方から長いこぶを入れ、底をくぐらして一方から引き上げるというやり方もあるが、こういうきびしいやり方だと、どんなやかましい食通たちでも、文句のいいようがないということになっている。                                       (昭和八年)
『魯山人美味探訪 だしのとり方』(「魯山人著作集 第三巻 料理論集」平野雅章編 五月書房刊より)

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